私が差し出す貴方の為の席と、貴方が求める居場所。
『インターネットの備忘録』というはてなブログをいつも楽しく読ませて頂いているのですが、著者のはせおやさいさんがtwitterでこんなポストをされていました。
ブログに始まった話でなく過去の家族子育て身の回り系エッセイ書いてる人たちもぶつかってきた問題なのではと思うけど、どうやってクリアしてきたんだろう / “友達がブログが理由で離婚しそう” http://t.co/b4mFX2mMhm
— はせ おやさい (@hase0831) 2015, 9月 9
内容としては、夫が自身や自身の生活を全てコンテンツ化してブログに流している所為で、プライバシーを勝手に曝されている状態が辛いので離婚したい、というもの。よく耳にする件ですが、確かにそんな人が一緒にいると本当に辛い。私も、親密度の高くない知り合いと食事をしたら勝手に写真を撮られ、さも仲が良さそうな体でポストをされたり、他にも色々と思い出す事があって、そんな人が四六時中身の回りに居たら離婚を決意するのもそれはそうだよな、と感じています。
しかしながら、この問題はどこかで、この“友人”の不満が爆発する前に防げたのだろうと思えてなりません。
“友人”が語っているように夫の方は
・ブログが彼のアイデンティティーになっている
・Facebookや近所にブログの存在を触れ回っている
といった行動をしている訳で、これは彼なりの不満のサインなんです。これは完全に私の推測ですが“友人”は子育てに追われてしまい、夫婦のやり取りの時間が減って、夫の方は寂しかったり認めてもらえる場が欲しかったのでしょうね。
お互いの関心度は夫がブログを始めた当初はこのようなものだと捉えています。
そして妻からの承認が得られない不満がだんだんと募り、夫は自分の承認を満たすブログを優先し、妻と子のプライバシーの侵害を軽視するようになった現状がこのような状態です(もっとも夫がブログで承認欲を完全に満たせているとは思えませんが)。
彼がブログを書く事で得たいものは、事実の発信ではなく、今日はこんな事があった、こんな事が出来るようになった、という事を伝える相手だったのではないか。その欲求が家族の中で満たされていたら、彼はそもそもブログなど書かなかったのだろうと思うんです。もし、このまま家族を続けるならば、妻側のアプローチとして“友人”は夫の話をちゃんと聞いてあげたらよかったのでしょうね。
関心度でいうならこのような感じでしょうか。
しかしこれでは妻側の負担が大きくなり過ぎて、とても続けていけそうな感じはしませんが。ですから、そもそもの話でいえば、夫はいい大人なのだから、そういった欲求は趣味や仕事など他のところで誰にも迷惑をかけない形で発散をするべきで、それが上手く出来ないので人は例えば不倫をしたり、彼の場合はブログでプライバシーを書いてしまったんでしょうね。
その発露の方法として、例えば夫の側が育児のお手伝い程度ではなくもっと育児にアプライしていたら、子どもの状況を共有しあうパートナーとして色々なやり取りが生まれて、彼の欲求も満たされていたでしょう。友人も負担が軽くなって夫のサインに気付けたのかもしれません。
子はかすがい、というのはよくある表現ですが、妻と夫、その両者が子どもに向いて初めてその機能を持つようになるんだろうなと。
夫婦になる、というのは夫は妻という席を、妻は夫という席をそれぞれ相手に用意する作業であって、この夫婦も結婚した当初はそれぞれにあつらえ向けのものを用意していたのでしょうけれど、この席はあくまで、
・私はこういう物を貴方に差し出せる(A)
・こういった人であれば座っていていてもいいよ(B)
という条件付けがなされていて、しかもそれは子どもが生まれただとか、仕事が忙しくなった、なんていう環境の変化によって刻々と変化しているのです。夫はその席に『話を聞いてもらえる権利(A)』が無くなっている事に気付いて、“ブログ”でそれを埋めるようになった、妻は『家族のプライバシーを侵害する人間(B)』は夫としての席に座るにはふさわしくないと思っている。今となってはもう遅いのかもしれませんが、この問題が顕在化する前に、夫がサインを出し始めた時点で、両者が話し合えていたら…。たられば言っても仕方のない事ですが、そう思わずにはいられない事例でした。この文章が、件の夫婦の元に届いてくれたら。
参考: