明後日の素

二日後がもっと暮らしやすいように

誰かの為に、を理由にする事。

半年に一度くらいでしょうか、

たまに、自宅に人を招いて食事会などします。

 

人が10人くらい集まれば、それは多様な人間が集う訳で、

信条や宗教、身体のつくり(アレルギーやアルコール)など、

それぞれ違ってくる訳で、何人かは当然食べられない物があったり。

 

ただ、気心の知れた友人を呼ぶので、

個々人好きなように勝手にやってくれるのですが、

 

やはり招く側としては

初めからそういう事を気にしなくともよい

ユニバーサルな料理を提供したいのです。

 

中にはveganと呼ばれる

肉は勿論卵や乳製品も取らない友人も居て、

出来る事なら彼女にも不自由なく楽しんでくれたら、

と思っている。

 

僕は肉も魚も乳製品も大好きなので、

普段であれば勿論鰹出汁は頻繁に使うし、

刺身だって食べたい。

 

なので、敢えてそういった料理を作ろうなんて思わない。

 

とはいえ『アレが使えない』料理というのは、

なんだかゲームみたいで、

 

肉や骨を煮込んだスープの持つ旨味をどう補うか、

 

簡単にメインディッシュを張れるタンパク質分を使わないとすると、

どうやって豪華さを出すのかといった、

 

普段は考えない事から発想をスタートさせる事で、

新鮮なアイデアが沢山降って湧いてきたり、

足りない知識を調べたりして、

 

不自由さのない時には知り得なかった世界を垣間みる事が出来る。

 

ずぼらな僕は、

今日は得意なアレ、

明日は惰性ですぐに作れるコレ、

といった料理をやりがちなので、

 

自分の知る世界を広げるために

そっと背中を押してくれる

『招きたいあなた達』の存在がとても有難い。